沖縄そばの歴史
地元も観光客も愛する沖縄の代表食
当時の沖縄そば店は、昭和30年頃まで「かんすい」を使用していませんでした。
「がじゅまる」などの木を燃やし作られた「木灰」を水に浸し、上澄みをすくい、そばの粉に「つなぎ」として混ぜていました。
「木灰」の中には、カルシウム・カリウム・ナトリウム・マグネシウムなどの無機塩類が豊富に含まれおり、強く練り込んでいくことで独特の腰と風味が生ました。
現在では「かんすい」を使った麺が主流となっています。
少数ながら「木灰の手打ち麺」で作るお店も残っています。
伝来
中国より「支那そば」が沖縄に伝来。
当時、主材料の小麦は非常に手に入りにくく、高級なことから、「支那そば」は宮廷料理として出される程度でした。庶民まで広まるのは1900年頃に入ってからと言われています。
沖縄で「支那そば店」オープン
沖縄県内初の支那そば店「観海楼」が開業する。
沖縄そばの原型
比嘉牛が「観海楼」から独立し、支那そば店「比嘉店」をオープンさせます。
喋りの旨かったことからベェーラーと言われ「ベェーラーそば」と呼ばれていました。
このそばには、ヒラヤーチー(薄焼き玉子)がトッピングされており、評判となりライバル「観海楼」との激戦に勝利します。
「沖縄そば いしぐふー」は、沖縄人が作った最初の沖縄そばと言われている、「ベェーラーそば」を再現しております。
かまぼこをのせた「ウシンマーそば」白いスープを出しだ「ゆたか屋」「井筒屋」「万人屋」など、名店が続々登場します。
終戦後
「国際通り」の周辺に「井筒屋」「万人屋」「三角屋」といった戦前の名店が店を再開。
ソーキそばが誕生
骨つき肉を柔らかく煮込み作る「ソーキ」をのせたそば「ソーキそば」が誕生する。
元祖は「丸隆そば」と「我部祖河食堂」の二説ある。
沖縄そばに危機
「沖縄そば」で慣れ親しまれてきましたが、麺の材料に30%以上の「そば粉」が入っていない為「そば」の名称が使えないと公正取引委員会よりクレームがつます。もともと沖縄そばの原材料は100%小麦粉を使用しています。「沖縄そば」という名称が使用できなくなる危機に。
この一大事に当事発足した沖縄県生麺協同組合が、沖縄県内の公正取引室、東京の全国生麺協同組合連合会、東京本庁等に何度も足を運び打開策を見つけるべく交渉を重ねた結果、昭和53年の10月17日に「本場沖縄そば」として使用が認可されました。
現在全国的にも認知度も上がり、沖縄を代表する食品ですが、こんな努力があったんです。
沖縄そば認可と沖縄そばの日
10月17日、「本場沖縄そば」の表示が特殊名称として登録許可されました。
これを期に、沖縄生麺協同組合が毎年10月17日は『沖縄そばの日』と制定しました。